プロフィール

こんにちは。
フリーランスエンジニアのアベです。

「とある40代男性のブログ」をご覧いただき、ありがとうございます。

運営者のこれまでと今について

文系出身、IT未経験、26歳で職歴なしのフリーター。

このままではダメだと思い、一念発起してプログラミングスクールに通ってプログラミングを勉強。

そのスクールで紹介された会社に正社員で就職。

34歳のときに約7年つとめた会社を辞め、現在は客先常駐のプログラマとして働いています。

高校〜浪人時代:打ち込むものが何もなかった十代

高校は山形県の県立の普通科に通いました。

当時の私はといえば、部活もせず、バイトもせず、かといって勉強もせず…

家に帰ったらゲームをするかテレビを見るかの毎日…

打ち込んでいるものなんて何もありませんでした。

受験勉強もロクにしていなかったので、当然のように大学受験に失敗…

浪人時代は仙台で寮生活をしました。

自分なりに勉強したつもりでしたが、合格したのは滑り止めで受けた大学の法学部のみ。

この時期は、何事にも冷めたヤツだったように思います。

大学時代:ITとは無縁の生活

大学に入ってもやっぱり冷めたままでしたね。

「俺は勉強しに来たんだ!」

と、痛いヤツでしたので、サークルには入らず、バイトもしませんでした。

生活費は親に甘えまくりの状態。

大学二年からは司法書士試験の受験対策として資格予備校に通い始めたのですが、これも全額、親に出してもらいました。

ほんと、ダメ息子ですね。

これで現役で司法書士試験に合格すればまだマシなのですが、世の中そんなに甘くはありません。

三年、四年と受験しましたが、不合格…

いま思うと落ちて当然ですね。

合格者とは努力のレベルが違いますから。

法律家を諦めて就職しようと思い、大学の就職課に相談に行ったときに初めて、現実を知りました。

自分は高校生活と大学生活で、何も残してこなかった。

勉強は中途半端。

部活もサークルもバイトもやってない。

時間を費やして何かをやり遂げた経験がない。

自分には何もできることがない…

途方にくれた私は、就職活動で傷つくのがこわくなり、資格の勉強を続けることにしました。

それは法律家になりたいから、ではなく、完全にモラトリアムでした。

フリーター時代:人生の転機

大学卒業後はフリーターになりました。

勉強は一応続けていましたが、ほとんど気持ちは乗らなかったですね。

このままでは一生低所得者だ…

大学を卒業してから三年目、26歳のとき、法律家は諦めて就職することに決めました。

でも、何をしたらいいかわかりません。

自分に何ができるかもわからない。

やりたいこともなかった。

それでも就職しないといけない。

そこで私は、「自分がやりたい仕事、できる仕事」ではなく「需要が高い仕事」をしようと考えました。

当時、需要が高かったのは営業とIT。

人見知りで活発でない私に営業は無理。

それならIT一択。

かくして私は、プログラミングを習得して就職するために、プログラミングスクールに通いました。

当時は、スクールで勉強してスキルを身につけ、スクールから紹介された会社への就職が決まると受講料が戻ってくる、という制度がありました。

つまり、無料で勉強でき、就職までできてしまうのです。

フリーターの私にとって、これはとても魅力的でした。

私は必死に勉強しました。

プログラミングに懸けていました。

朝から夕方までスクールで勉強し、夜はアルバイトの日々。

通う前はブラインドタッチすらできない状態でしたが、二ヶ月で基礎の基礎の基礎くらいは習得し、スクールを卒業。

なんとか小さなシステム開発会社への就職が決まりました。

その後、リーマンショックの影響で景気が悪くなり、スクールの受講料返金制度は無くなりました。

なんというタイミングだったのでしょうか。

あのとき動き出して正解だったわけですね。

会社員時代:同じ会社に居続けることへの不安

2009年1月に入社。

当時の私は焦っていました。

自分は一年浪人してフリーターも約三年やっていたため、一般の大卒に比べて四年も出遅れていたからです。

一年目のころは出遅れた分を取り戻そうと、仕事はもちろん、技術の勉強も頑張っていました。

最初は何もできませんでしたが、だんだんできることが増えていくのが楽しかったです。

しかし、社会人二年目になり、仕事にも慣れてきて周りが見えてくると、自分の状況に不安を感じるようになりました。

会社の将来性に疑問があったのです。

この会社で経験できる仕事の幅が狭すぎること。

尊敬できる先輩がいないこと。

ここで働き続けて大丈夫なのか。

会社への不満がどんどんつのっていきました。

「SEをやってて何のスキルが身につくのか?」

会社の会議でそんなことを発言して、社長から呼び出されたこともありました。

そして社会人三年目に起こった東日本大震災。

仕事に不満だらけだった私は、転職を考えるようになりました。

大好きなお笑いに関われる裏方の仕事をしようかと考えたり、WEBデザインの仕事をしようかと考えてスクールに通った時期もあったり。

しかし、いずれも仕事を変えるまではいきませんでした。

仕事を変えたところで、自分を変えない限り状況は変わらないだろうと考えるようになりました。

いくら会社に不満があっても、会社に守られていることに違いはない。

会社に甘えていたのも事実。

そして2016年になってようやく、私は決断しました。

会社を辞めてフリーランスになろうと。

私は自分のことは自分で決め、それがどのような結果になろうとも、自分で責任を取ることに決めました。

やると決めるのも自分。

やらないと決めるのも自分。

全ては自分の責任

現在:フリーランスとして自分と向き合い続ける

2016年6月に会社に退職願を提出し、9月に退社。

会社を辞めようと考えてから4年も経っていました。

そして今、お客様先に常駐するタイプのフリーランスとして仕事をしています。

フリーランスになってから、仕事が面白いと感じるようになりました。

自分の行動に責任感が生まれたし、プロジェクトに貢献したいという気持ちも強くなりました。

会社員時代には感じたこともなかったのに。

趣味について

二十代のころは、お笑いライブに行くことくらいしか趣味がなかった私ですが、今ではいろいろと楽しんでいます。

落語

2014年、32歳から落語教室に通って落語を習い始めました。

現在は東京を中心に活動しています。

アマチュア落語家としての活動は、今や私の大事なライフワークとなっています。

レズミルズ(Les Mills)

妻から「アンタも少しは運動しなさい」と怒られたことがきっかけで、ジムに通い始めました。

街のフィットネスクラブで、格闘技エクササイズを始めたんです。

しばらくは妻も一緒に格闘技エクササイズを楽しんでいましたが、そのうち妻が出会ってしまいました。

「レズミルズ」という沼に…

それから私もレズミルズのレッスンを受けるように。

格闘技の動きを取り入れた「ボディコンバット」や、エアロビに筋トレを取り入れたような「ボディアタック」など、しんどいですが頑張って運動してます。

今では夫婦ふたりの共通の趣味になりました。

さいごに

ブログを始めたのは、2017年。

途中でやる気をなくして更新しなくなったり、再開したり…

またチャレンジしようと思い、ブログを再開しました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!